人間寿司
人間寿司とは、
消費される側に回った現代人の肖像である。
寿司は本来、祝祭的で、美しく、洗練された日本文化の象徴だ。
だが田中拓馬は、その「包む」「整える」「商品化する」構造を、
人間そのものへと反転させる。
キャンバスに描かれる人間は、
笑っていることもあれば、無表情であることもある。
しかし彼らは一様に、
何かに包まれ、整えられ、差し出されている。
それは他者からの評価であり、
市場のルールであり、
SNSのアルゴリズムであり、
愛・金・承認・労働・役割といった
現代社会の“ネタ”である。
人間寿司は、暴力的な批判ではない。
むしろこれは、私たち自身が自発的に寿司になっているという
静かな告白に近い。
働くために自分を包み、
愛されるために自分を包み、
選ばれるために自分を包み、
評価されるために自分を包む。
その結果、
中身が何であったのかを、
本人すら忘れてしまう。
田中拓馬の人間寿司は、
哀れさとユーモア、
可笑しさと恐ろしさが同時に立ち上がる地点にある。
そこには怒りよりも、
**「わかってしまった者の笑い」**がある。
スカル・シリーズが
「すべてを剥ぎ取った後に残るもの」だとすれば、
人間寿司はその手前、
剥ぎ取られる直前の人間の姿を描いている。
つまりこのシリーズは、
消費社会の犠牲者を描く作品ではない。
「あなたは、今、何寿司として生きていますか?」
という問いを、
鑑賞者にそのまま差し出す作品なのである。
人間寿司は、
現代を生き延びるための仮装であり、
同時に、
自分を取り戻すために一度自分を可視化する装置でもある